糖分

根を詰める作業を行うと疲れで糖分が欲しくなる。
普段あまり使わない頭を酷使した場合は特に激しい。

その理由について大日本明治製糖さんのウェブサイト「疲労回復とお砂糖」に説明されてます。

体が疲労した状態ではエネルギーを消耗しすぎて、肝臓に蓄積されていたグリコーゲンが底をつき、血液に糖分を補給できなくなり、血液中の糖濃度(血糖値)が著しく低下します。私たちの体は血液中の糖、脂肪酸をエネルギー源としているため、血糖値が低下するとエネルギーの補給が出来なくなり、動くこともできない疲労状態となります。通常、脳はブドウ糖だけをエネルギーとしていますので、血糖値の低下は思考力、集中力の低下につながります。

甘い物が欲しくなるのは低下した血糖値を回復しようとするためなのですね。
ならば糖分を補充すれば良いということになりますが、糖分は肥満の根源、必要以上に補給しないように気を付けなければならない。
糖分にも色々種類があるはずだ。

ということで、大人すはださんのウェブサイト「甘いもの好き必見。からだに良い糖、悪い糖の見分け方」に注目してみました。

からだを温める黒糖
白砂糖より少量で甘いハチミツ
低カロリーで栄養満点のメープルシロップ

黒糖・ハチミツ・メープルシロップが良い糖で、白砂糖は悪い糖になるようです。
おやつも糖の種類で選ぶようにしないといけないな。

さて我が家にある甘味はというと、
食卓に柿が2つ。
さらに冷蔵庫の中を探索して、チョコレート・プリン・ヨーグルトを発見しました。

でも冷蔵庫の中の物は食卓に出てこずに、いつの間にか無くなってしまう。
私を除け者にして家族がこっそり食べているのだろうな。

ウォシュレット

私が普通に幸せを感じるアイテムの一つがウォシュレットです。
特別にではなく普通に感じると言うのがポイントです。
当たり前の中に幸せが隠れてる。
そんな素敵なアイテムの一つです。

さて、ウォシュレットは TOTO の商標です。
本来は温水洗浄便座と呼ばれる物なのでしょうね。
でも温水洗浄便座と言ってもピンときませんが、ウォシュレットと言えば意味が伝わります。
商標が普通名称化した例ですね。

でもそれは日本でのこと。
外国では何と呼ぶのかな。

最初は TOTOは米国からウォッシュエアシートを輸入して販売をした。
それを国産化して、そののちウォシュレットとして商標登録した。
その流れからすれば英単語で決まって表現があるかと思うのですが?

探して見るとよくわからない。
直訳すれば “Warm water washing toilet seat” になりそうですが、これでは機能の説明だけですよね。

Bidet / Electronic bidet だと洗浄のイメージが強過ぎるし
Electric toilet seat だと電気椅子のようで怖い

えーい
Toilet robot が自分の頭の中のイメージかな。

さてもう一つの課題。
お尻のクリーニングは機械が手伝ってくれますが、便器の清掃の方ははブラシでゴシゴシ。
清掃してくれるロボットがあればもっと幸せになれるのですが。

誰のため

体に鞭を打って頑張る。
でも、誰のため?

自分のためであるのは間違いない。
でも自分のためだけであれば、これほど頑張る必要もない。

そして家族のため。
女房のために頑張った。
子供たちのために頑張った。
家族の屋台骨を支えるのが自分だと思っていた。
でも、今は私の頑張りを必要とせずに生活できている。

さらに、親のためですね。
でもその親さえもあまり無理をしちゃダメだよと言ってくれる。

あとは仕事仲間のため。
ここまでくると私の頑張りなど屁の突っ張りにもならない。
私が頑張らなくても他の人間の頑張で代用が効く。

行きつくところは社会のため。
自分の頑張りが回り回って社会から自分に戻ってくる。
でもこれって実感がないんですよね。

こんな事を考えるのは頑張るのに疲れたから?
少しでも楽をしたいと考えるから?

誰のために頑張るのではなくて、頑張ることが好きなので頑張る。
皆の笑顔を見たいから頑張るのさと考えよう。

iPad Pro

iPad Pro が発売になりました。

気になります。
触ってみたい。

画面サイズは変わらずに本体が小型になって薄くなっている。
処理スピードも向上しているので文句の付け所がありません。

ですが何故か触手が動かない。

タブレットにも見慣れてしまい、新しい何かができるかもという期待が湧いてこないのです。
そう今できていることが少し便利になるだけ。

それでも味付けが変わって、コンピュータという言葉が表に出てきてます。
キーボードの存在も主張していますね。
MacBook Pro との共存と棲み分けはどうなるのかな。

やはり iPadは
「コンピュータって何?」
とうそぶいて欲しかったですね。

うそっこ

「そろそろ本気を出さないといけないな。」
何気なくつぶやいてしまう一言です。

おいおい本気じゃなかったのかよ。

いや、何事も本気で取り組んではいるのですが、動作がうそっこ。
本気を出して行動できる状況には置かれていない。
状況が整うまではうそっこでお茶を濁すことになってしまうのさ。

本気を出すために必要なのは、集中するための一定の時間。
持ち時間が小間切れだと試行錯誤することができない。
安易な方法を選択してしまう。
これがうそっこ。

他のことをしながらその合間に行う。
これも集中できない。
どちらも破綻のないように取り繕う事だけを考えてしまう。
これもうそっこ。

その辺のジレンマがつい「そろそろ本気を出さないといけないな。」のつぶやきになってしまうのです。
本気にはなれない状況、つまりうそっこなので今までの多少の手抜きは勘弁してという哀願の一言なのです。

うそっこでも本気で考えてあがいているのさ。