血の巡り

血の巡りが悪くなっているのかな。
そう思うことが頻繁にある。
このところ一気に冷え込みでさらに強く感じています。

まずは指先が冷たい。
手の指先の感覚が鈍ってきてる。
キーボードの打鍵時の文字の打ちこぼしが多発。

当然つま先の感覚も。
何もないところでつまづいたりする。
これは足が思ったほど上がってないから。

それと関節の痛み。
足腰の関節はぎくしゃくするのでウォーミングアップが必要。
体が硬くなっているんだよね。

体が冷えている。
寝ていて寒い。
血圧が上昇気味。

細かいことを言えば
視力が落ちて視野がぼやけている。
やたらと眠くなるのも。

皮膚が荒れてガサガサしている。
荒れてない所にはかゆみがあったり。
顔のしみも気になるぞ。
手の爪の周りのささぐれ
これが結構痛い。
髪の毛が抜ける。

変わらないのは食欲位かな。
気力も衰えてはいない。
やりたいことはどんどん増えている。
それなのに手が出なくなっているのも血の巡りのせいなのかな。

物忘れが激しい。
物事をするのが億劫に感じる。

これらの症状って毛細血管の血の巡りが悪くなっているのと、末梢神経がどんどん退化しているから?
血の巡り=知の巡り。

そう考えると妙に納得してしまう。
知の巡りはもともとあまり良い方ではありませんが。

ならば血液を巡り易いようにサラサラにしないといけないな。
健康診断の血液検査の結果は要注意の連発だし。なるべくそうなるよう頑張っている。
食事に気を付けないといけない。
目で見える注目点では体重になるのかな。
血圧のチェックも有効だろう。

入浴も良さそうだ。
どこかの温泉でゆっくり湯治すれば血の巡りは良くなるのだろうな。
地の巡りも楽しめそうだしね。

偶然

偶然との遭遇。
これって結構あるよね。

献立
無性にカレーラースが食べたかった。
家に帰ると晩御飯がカレーライス。
これって幸せになれるよね。
逆に昼におでんをたらふくご馳走になって家に帰ったら晩御飯がおでん。
決して不幸にはならないけどぐうの音も出ない。
思わず苦笑い。

欲しい物
ヤフオク、メルカリで掘り出し物。
何年も前から欲しかった物を発見。
ポチッ!
思わず衝動買い。


ずいぶんとご無沙汰していた人が夢に出てきた。
懐かしいな。
そして実際に突然町で出会う。
相手も「あれっ!」て顔で「夢に出てきてたよ」。
嘘のような本当の話。

毎日の期待はと言うと。
棚から牡丹餅。
美味しい物に遭遇したいな。

個性

車の顔。

車を正面から見た時人間の顔を連想し易い。
ライトが目で、エンブレムが鼻、ラジエターグリルが口に当たります。
耳はサイドミラーかな。

最初の頃の車は丸いライトしかなかった。
パッチリお目々が可愛らしかったです。
その後四角いライトが出てきて、眼鏡のお兄さんの雰囲気。
丸目、角目ともにサイズが統一されていて、より高性能のライトに交換することが可能でした。

つまり、どの車も目は同じなので表情を変えるには鼻と口のデザインが勝負になります。
それでも、エンブレムやラジエターグリルのデザインでどのメーカーの車かすぐに判る程の個性がありました。

最近の車は車ごとにヘッドライトのデザインが違います。
技術が進んで色々な形のライトが製造可能になったからですね。
今の流行は切れ長で、目尻がたれずに吊上っている物が主流です。
ちょっと攻撃的にも見え怖いのですが、高性能を訴えているのでしょうね。

でも、個性的な目をもらっているのに車としての個性は薄らいでしまったような。
私は最近の車の区別がつきません。
没個性。
各社共に車の基本デザインが煮詰まってしまい、奇抜なデザインを採用するのが冒険になっているのかも。

以前は車全体のデザインに個性があった。
今は小手先だけで個性を出そうとしているようにも思えます。

あれ、これって人間にも言えるかも。

うなずく

うなずくは自然にでる動作。
一日に何回位うなずいているのだろう?

うなずく回数はコミュニケーションの回数に当然比例するはず。

相手の言葉に同感し深くうなずく。

気の置ける仲間同士であればちょっとした話でもうなずきながら聞いている。
相手のうなずきにつられて自分もうなずき返している。

相手に同意を求める、子供をいなしめる時にもうなずいて見せる。

深刻な話で言葉を返せないような時に深くうなずく。

いろいろなケースを思い浮かべる事ができますよね。

それと収集した情報の量にも比例する。
色々なメディアが発信している情報を得てその内容に納得した時思わずうなずく。
ニュースであったり、トピックスであったり、ブログであったり。

そして実は情報を発信する時にもうなずいています。
私はこの一筆を書きながらうなずき通しです。
うん、うん。
そうだ、こうだ。
ぶつぶつ言いながら書いてます。

そうか考えてみればうなずくは自分を納得させるために自然に出るアクションなんだ。

みなさん、この一筆を読んでうなずいていただけましたか?

誰のため

体に鞭を打って頑張る。
でも、誰のため?

自分のためであるのは間違いない。
でも自分のためだけであれば、これほど頑張る必要もない。

そして家族のため。
女房のために頑張った。
子供たちのために頑張った。
家族の屋台骨を支えるのが自分だと思っていた。
でも、今は私の頑張りを必要とせずに生活できている。

さらに、親のためですね。
でもその親さえもあまり無理をしちゃダメだよと言ってくれる。

あとは仕事仲間のため。
ここまでくると私の頑張りなど屁の突っ張りにもならない。
私が頑張らなくても他の人間の頑張で代用が効く。

行きつくところは社会のため。
自分の頑張りが回り回って社会から自分に戻ってくる。
でもこれって実感がないんですよね。

こんな事を考えるのは頑張るのに疲れたから?
少しでも楽をしたいと考えるから?

誰のために頑張るのではなくて、頑張ることが好きなので頑張る。
皆の笑顔を見たいから頑張るのさと考えよう。