あれ?

耳も遠くなってきているのかな?
最近人の言っていることがよく聞こえず聞き返す事が多くなってきました。

人の話をよく聞いてじっくり考える。
これが私の行動パターンなので聞き逃しは困る。
なので何度も聞き直すのですが、時に怪訝な顔をされることも。

耳で聞いているのですが、実は頭の中では聞いた内容を理解するための思考が働いています。
耳が遠くなったのか、それとも思考回路の働きが遅くなってきているのか?

この状態が進むと聞くことに疲れて話をするのが嫌になってしまうのかな。
いや、そんなことはならないとは思うのですが。

自分も衰える時期に入ってきているとつくづく実感してます。
老いるということはこういうことなんだ。

そこで今やっていること。
相手に少しでも大きな声で話してもらうために、自分が大きな声で話す。
不思議なもので大きな声で話すと、大きな声で話してくれる。
錯覚かもしれませんが、そう感じています。

コミニュケーションをしっかりとれるようにしないとね。

返事

返事が大切。

挨拶をする。
これがコミュニケーションのきっかけになります。

おはよう。
こんにちは。
こんばんは。

この三つの言葉だけですべてがこなせる。

相手からも

おはよう。
こんにちは。
こんばんは。

の返事をもらえるだけで嬉しくなれます。

ですが挨拶をしても返事をもらえないこともある。
返事をもらえないと一瞬むなしくなりますよね。

なので自分が挨拶を受けたら返事をしよう。

コミュニケーションは返事から始まるのですよね。

ものもらい

目が覚めたら右目がゴロゴロする。
鏡を覗いて見ると下まぶたにものもらいができている。
昨日はなかったはず。
でも昨日の夕方頃からゴロゴロ感はありました。

涙腺側にできていてまぶたの外側にできていたのであまり痛くはない。
まぶたの内側にできると痛いですからね。
気になるが痛みはないので様子見。

昼過ぎになると右目の視界にものもらいが見えるようになってきました。
先っぽが黄色くなってはじけそうな状態。
ですが忙しいのでそのまま様子を見ることに。

でも明日は眼医者さんに行かないとだめかな。

ものもらいって面白い病名ですよね。
語源を調べてみますかな。

人と言う字。

人間の姿を現す象形文字ですよね。
さてどのような姿を現していると思いますか?

立っている人を横から見た姿。
一人の人間が二本の足で立っている姿。
二人の人間が支え合って立っている姿。

どうやら立っている人を横から見た姿で、頭と手と足を表しているようです。

でもみんなの理解は

君たち、いいですか。
人という字はねぇ、ひとと、ひととが支えあっているから人なんですよ。

じゃないのかな。
そう考えた方が夢がある。

姿が文字になり、文字から姿をイメージする。
元どおりの姿には戻らなくても、もっと深い意味を持たせることもできるのです。

私は二本の足で立つというイメージも好きですね。
堂々と立っているように見えますので。

年寄り

年寄りと書かずにお年寄りと書かないといけないのでしょうね。
まあこれは私自身のことなので申し訳ありませんが年寄りと書きます。

自分は年寄りなのか?

自分ではおやじではあるけどまだ年寄りではないと思ってました。
でも他の人間の目から見ると年寄りに見えるのかもしれない。

現場での話になるのですが
車から重い物を下ろそうとしていたので、手伝おうとしたところ
「年寄りは手を出さない」
と言って若い人間を呼んで手伝わせました。

また高いところで足元が不安定な場所に移って作業をしようとしたところ
「年寄りには危ないからそっちに行かない」
と言って代わり作業をしてくれました。

どちらも言われた瞬間、カチンときたのですがすぐに冷静になりました。
他人の目から見ると危なげに見えるのでしょうね。
はっきりと口に出して作業を代わってくれる。
それが親切。

確かに自分でも足が以前に比べて上がっていないと気付いております。
なのでつまづきやすい。
足元に気をとられると、頭上への注意がおろそかになり頭をぶつけたりする。
なのでヘルメットは傷だらけ。

そんな姿を見せつけているのだから年寄り扱いが正しいのでしょう。
なので無理はしない。
安全に作業をしてくれる人に代わってもらうし、いなければ来るまで待つ。

私は周囲の片付けをすればよい。
作業をバリバリこなす人には、片付けをする時間がとれないはずなので。