できる

「できる」と「つくる」
似ているようですが本質が違う。

言い換えれば、天然と養殖。
自然にできるものは強固な生命力が備わっている。
それに比べてつくったものには生命力を感じられない。
これが大きな違いだと考えます。

これは生命力だけではなく、理論にも当てはまる。

言い換えれば、事実と仮説
多くの事実からできた理論には実証性がある。
仮説の積み上げでつくった理論には説得性がない。

人のつながりもそうかな。

言い換えれば、人脈と派閥。
自然とできた人のつながりは信頼で結ばれている。
権力のためにつくった派閥は利益関係で結ばれている。

私はつくるのは苦手だ。
できるのを待つのが好きなのさ。

できるとやれる

「できる」と「やれる」似ていて違う。

「できる」は客観的に見てできると判断できること。
「やれる」は主観的に見てやろうと思えること。

できる → やれる → やろう

行動に移すまでの思考のステップはこうだと思います。
できるからすぐにやれるとは限らない。
やれると思えるまでにはいくつもの準備が必要。
段取りですよね。
やれると判断できるまで色々考えなくてはいけない。
自分自身が納得できた状況がやれるなのです。

やれるにはやろうという行動に移す言葉があるけど、できるには行動に移す言葉は見当たらない。

「できる」という判断で物事に着手すると、往々にできなかったで終わる事が多い。
でも「やれる」と思って着手した案件はやり切れる。
いややり切る。

自分の意志が入れば何事でもなんとかなるのさ。