絶不調

寝起きから体調が悪かった。
何となく頭がぼーっとしていた。

それでもそれなりに自宅を出るまでのバタバタをこなして勤務先へ向かう。

駅まで歩いて15分。
このあたりでお腹の調子が怪しくなってきていた。
電車に乗ったと同時にお腹の状態が急降下。
緊急事態発生で途中下車が必要になりました。

足を引きずるようにトイレに直行。
なのに満室。
扉が開くまで3分間お待ちください。
死に物狂いの地団太を踏みました。

何とか破綻なく勤務先まで辿り着いたところで再度トイレに急行。
ここでひと段落したのですが、体力を使い果たしました。

その上、寒さで右手の親指のあかぎれが突然口を開き大量出血。
気が付かずにワイシャツのボタンを外したのでシャツのボタン周りが血だらけ。

正に踏んだり蹴ったりです。
いや、糞だり血たりだったと言うべきかな。

寿命

寿命が縮まる。

ドキッとした後に思わず出る言葉。
生きた心地がしなかった体験。
死ぬかと思った=そこで寿命が尽きた=寿命が縮んだ
ということなのかな。
でも続命できていると言う事は実際には寿命は縮んでない。

そして、きつい作業をした後にもまれに発するかもしれません。
このまま続けたら倒れる→死んでしまう。
すなわち作業中は生きた心地がしない。
生きた心地がしない時間=生きていない時間=寿命の一部が失われている
と四角四面に失った時間を考えることもできます。
でもこれは考え過ぎ。

思えば日常生活は寿命を縮めることばかり。
ならば寿命を延ばす事を考えよう。

美味しい物。ゆっくり休む。旅に出て知らない世界を見て歩く。

あれどれも非日常なことばかりかな。
いや美味しい物は日常にできるぞ。
せめて美味しい物を食べて寿命を延ばそうよ。

いい夫婦の日

11月22日は「いい夫婦の日」。

語呂合わせだよね。
でも数字の並びが 、1と2のぞろ目と言うのはすっきりしていて気分が良い。
「勤労感謝の日」の前日と言うのも何か味があるよね。
お互いの仲を一晩じっくり見つめ直して、翌日はお互いの働きに感謝する。
年に一度はそんなゆとりある時間が必要だよね。

日本人は照れ臭がり屋。
思っていることがなかなか口に出せない。
せっかくの「いい夫婦の日」も何も言えず過ごしてしまうのだろうな。

でも心の中で「ありがとう」が言えれば「いい夫婦」なんだと思う。
なので我が家は「いい夫婦」。

そうだ、毎月22日は「夫婦の日」。
かけがいのない人生の連れ合いをいたわってあげようね。

あんちょこ

自分なりの答は持っている。
出し惜しみはしないし押し付けもしない。
皆が本当に行き詰まった時には、自ら声に出して伝えないといけないが。

長年同じような仕事をしてきて山ほど壁にぶつかってきた。
それを打ち破るための思考錯誤の苦しみが今の自分の中に経験として残っている。
なので多くの壁はすり抜ける事が可能です。

今でも自分の周囲で壁に突き当たって苦労している人を見聞きする。
自分なりの答は準備できるが敢えて口には出さない。
答は幾通りもある。
苦労の中から同じ答えが出るかもしれないし、別の答えが出てくるかもしれない。
考えることの芽を摘むような事は避けないとね。

相談されれば自分の考えるベストはいつでも提供します。
私の答を伝えた時に返ってくる反応の多くは

きょとんとして、しばらく考えた後に・・・
そんな方法があるんだ。
そんな簡単な事なんだ。

教科書には書いてない考え方のヒント。
あんちょこをうまく使ってくれると嬉しいな。

できるとやれる

「できる」と「やれる」似ていて違う。

「できる」は客観的に見てできると判断できること。
「やれる」は主観的に見てやろうと思えること。

できる → やれる → やろう

行動に移すまでの思考のステップはこうだと思います。
できるからすぐにやれるとは限らない。
やれると思えるまでにはいくつもの準備が必要。
段取りですよね。
やれると判断できるまで色々考えなくてはいけない。
自分自身が納得できた状況がやれるなのです。

やれるにはやろうという行動に移す言葉があるけど、できるには行動に移す言葉は見当たらない。

「できる」という判断で物事に着手すると、往々にできなかったで終わる事が多い。
でも「やれる」と思って着手した案件はやり切れる。
いややり切る。

自分の意志が入れば何事でもなんとかなるのさ。