失敗

失敗とは目的を達成できずに終わること。
なので目的がない時にしくじっても失敗ではない。
物事が上手くできなくても失敗だと考えてはいけないのです。

同じ不手際をしてしまっても
上手くできないことが許される時であれば失敗ではなく。
上手くできることが求められる時では失敗となる。
同じ結果であっても評価が異なるのです。

さらに目的には期待が上乗せされることがあります。
期待に応えようとすると不必要にハードルが上がります。

目的は達成できているのに期待に応えられていない。
これって「失敗」なのかな。
成功なのに失敗と評価されてしまうという、おかしな例です。

期待に応えようとすることは大切なことかもしれませんが、それを目的にしてはいけない。
期待というのは膨張するもので定量的なものではないから。

目的がはっきりしない状態での試行錯誤。
上手くいかないのは仕方がない。
目的を決めるまでは恐れず何でもやってみよう。

和食

和食ってユネスコ無形文化遺産に登録されているんですよね。

農林水産省のウェブサイトに行ってみました。
「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されました!

でも何で「遺産」なのかな?
先人たちが遺したくれた財産という意味なのでしょうね。
私には、今の日本人の食事は「和食」とは言えないという戒めに聞こえます。

ユネスコ無形文化遺産の和食は一汁三菜。
汁一品と膾・煮物・焼き物の菜三品からなる膳立て。
でも日常の食卓ではまず見ることができません。
頑張って、鮭・生卵・納豆にお味噌汁が私の一汁三菜かな。

現代の日本人だけでなく、先人達も一汁三菜では無かったはず。
実際は一汁一菜で、菜を漬物ということが多かったのでは。
そう、実際の和食文化は一汁一菜だったのではないのでしょうか?

ならば
一汁一菜を「生きた和食文化」としてしまおう。
ウェブサイト KOKOCARA にこんな提案がありました。
「一汁一菜でよいという提案」 
一汁一菜が昔からの日本の食卓の風景なのかもしれません。

でも
私の考える和食の原点とは
「炊きたての熱々ご飯」
これがメインディッシュですべて。
「一飯熱々」
先人達は食事に合わせてご飯を炊いた。
炊きあがったご飯を家族で食べる。
これこそ日本人が継承すべき文化遺産なのでは。

「和食」の「和」の意味って「熱々家族」なのかも。

パイナップルの種

パイナップルを食べました。
コンビニで売っていたカットフルーツです。
とても美味しかった。
表面に砂糖をまぶしてあるのかと思うほど甘かった。
パイナップルの美味しさ再発見です。

パイナップルを丸ごと買ってきて自分でカットするにしても、熟成具合はなかなか見抜けない。
皮が厚いので外から見て分かるはずがないですよね。
なので自分で苦労してカットしてもなかなか美味しい味とは巡り合えません。

パイナップル缶詰は手軽で外れはないのですが、自然の甘さとは違う感じがいたします。
ちょっと酸味がきついような気がしますよね。

今日のカットパインは酸味が無くて甘味だけ。
旨味と言っても良い美味しさでした。

さてパイナップルの種って見たことありますか?
見たこと無いですよね。
でも種が無ければ実はつかない。
鶏が先か卵が先か・・・・???

で調べてみました。

学研キッズネット「科学なぜなぜ110番」に答えがありました。

質問
パイナップルにはあるの,あるならどこにあるの

答えはそちらで見てください。

色は匂へど

いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせすん

色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず

諸行無常 是生滅法 生滅滅己 寂滅為楽

これって悟りの心境なんですね。

ちょんちょりんこ

小さな赤いヘアークリップを使って髪を止めた女性を見て、

「ちょんちょりんこ」見~つけた!
と口走るのは私くらいかな。

知っている人にはすぐイメージがわく言葉だと思うのですが。
知らない人には意味不明な言葉でしょうね。

ちなみに「ちょんちょりんこ」は東京の方言だそうですよ。