しわとしみ

若い頃の写真が出てきた。
パスポート申請用に撮った物で身だしなみが整って写っている。

現在との大きな違い

髪の毛がふさふさ。
雑草が生え茂って地面を覆いつくしている感じ。
今は荒野に枯草という変わり果てた姿になってます。

お肌が艶々している。
つきたてのお餅のようなお肌。
若さがにじみ出てますね。
今は、しわとしみで荒れ果てています。

髪の毛はすでに諦めの心境ですがしわとしみは気になります。

しわは
笑えば目じりにしわができるし、怒れば眉間にしわがよる。
喜怒哀楽がしわを作るのでは。
自由な時間は笑っている事が多いし、仕事では苦虫をかんだような顔をし続けてきたような。
長年の表情の結晶がしわなのでしょうね。
その人の歴史ともいえそうです。
ポーカーフェイスで無表情を続ければしわはできないのかもしれません。

ならばしみは人生の何なの?
できる場所は不規則だし、色も大きさもばらばら。
しみはある日突然気が付く。
本当は少しずつ色が濃くなっていたのでしょうが自分では気が付かなかっただけ。
滅多に鏡の中の自分をじっくり見るなどということはありませんから。

しみは歳の数のスタンプと考えてみましょうかね。
人間の年輪。
歳の数だけしみができる。
近い場所にできれば重なって大きな一つに広がって見えるもの。

そう考えれば諦めもつきますかね。

携帯電話

私の使っている携帯電話は auのW61T。
ガラケーです。
使い始めてからちょうど10年が経ちました。
電池もまだまだ元気で、毎週日曜日に充電すれば1週間使えます。
何とも頼れる相棒です。

さて
携帯電話の寿命って何年位なんだろう?
3年~5年で交換するのが一般的かなと思います。

理由はと言えば、「新しい機種に変えたいから」が一番多いかもしれません。
次に、電池の寿命が来たという理由で機種変更されるケースも多いのかな。

私は毎週日曜日の充電をきっちりやってきたので、10年間で約520回充電したことになります。
電池の充電保証回数は500回だったと思うので、私の愛機もそろそろ限界かもしれません。

突然死に襲われる恐れがあるので次の端末のことも考えないといけません。
でも今はガラケーと呼ばれる携帯電話は3大キャリアからは販売されていないのですよね。
ガラケーの姿をしていても中はスマホのガラホはあるのですが。

私の場合は通話とショートメールだけ使えれば用が足ります。
スマホなんかいらない。
ネットにつなぐのはパソコンに任せればいい。

電話屋さんなのに通話専用の電話機を売ってないのはおかしいよね。

ドーナツコロッケ

リングドーナツ美味しいですよね。
おやつタイムに最適です。

さて
食卓にパン粉をまぶして揚げてあるドーナツを発見。
こんなドーナツがあるんだ。

早速盗み食い!
がぶり!
・・・・ん!

ドーナツではないぞ。

がぶりついた痕を見るとじゃが芋とひき肉。
おお!コロッケだ。

ドーナツコロッケ でした。
つかみ易いし。
火の通りも良さそうですね。
ありそうでなかった調理法。

でもドーナツって穴の分だけ損した気分にもなりますよね。

まずは肯定

提案を受けた場合どのように提案に向かい合っていますか。

提案の内容を判断する時、実現を肯定する前提で考えてみる。
まずは肯定。
肯定論が私の考え方。

ですが、否定する理由をあら探しする方法もあります。
言わば否定論。
こちらの方が主流かもしれません。
ですが否定することを前提とするなら提案を受けてはいけません。

提案を実現するためにはエネルギーが必要になります。
引き換えに得られる成果物を見極める必要もあります。
それからリスクを並べます。
リスクは提案を実現するために考えられる留意点であり、肯定論の理論武装の一つです。
決して否定論の材料ではありません。

消費するエネルギーと得られる成果物、そしてリスクをにらみ合わせて提案を受けるか判断をする。
その上で提案の実現が難しいという結論であったなら、提案を新しい物に刷新させれば良い。
必要であれば何度でも刷新を繰り返し、提案を熟成させればよい。

提案を否定した場合、提案はその場で枯れてしまう。
それは避けなければいけない。
決して提案を否定する態度をとってはいけないのです。

うさぎとかめ

うさぎとかめ
兎のうたた寝を戒めるお話だったような。
でも最近兎の気持ちがわかるようになってきました。

私も最近ゴール直前で寝てしまう。
この歳になってくると何事も時間との戦い。
限られた時間で物事を片付けて行かなければならない。
終わらなければ後回しでいいやという安易な妥協はできません。
なので時間を惜しんで色々やってます。
そしてゴールが見えた時に気が緩む。

時間内に何とかなりそうだ・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・あっ!寝てしまった。
時間切れ。
時間内に終わらせないと意味がなかったのですが。

うさぎとかめのお話は、「高齢うさぎ」と「青年かめ」の一騎打ちだったのかもしれません。

さて
兎に角はない。
なので 兎角 とはありえないことのたとえである。
さらに
亀毛 という言葉もあって、亀には毛が生えないのでこちらもありえないこと。
ならば
兎角亀毛ならば絶対にありえないことと言えそうですが、時にはあると考えるようで戦争の起こる前兆として使われる事もあるようです。

うさぎとかめ
両者が出くわすことってあるのかな。
草原には亀はいないし、海岸には兔はいない。

兔亀衝突
一体何が起こるのだろう。